オペラと落語が好きという方のための“雑学”

私は、オペラと落語や文楽が好きでその相互の関わり方や共通点に非常に興味がある。インターネット上でも、少々ダジャレに走る傾きがあるが(決して嫌いではない)オペラと落語をミックスした創作噺集「オペラと落語の交差点」http://www.geocities.jp/pbbbc071/という愉快なサイトも息長く続いている。
オペラと落語の関わりで面白い記事を1998年1月頃の朝日新聞の記事で見かけた。それは、「円朝版トスカ、みやびに再現」という記事で、プッチーニの「トスカ」と同じ原作の、フランスの劇作家サルドゥーの「ラ・トスカ」を翻案した明治期の名人、三遊亭圓朝の「錦(にしき)の舞衣」が1998年1月に柳家小満ん師匠http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=33が高座にかけ、開演前にはプッチーニの「トスカ」が流れたというものだ。
インターネットで調べた情報でその記事を補うと、「錦の舞衣」が落語として初演されたのは1891年(明治24年)7月に歌舞伎座でのことだったという。(「百年目」圓朝年譜http://www.edo.net/hyakunen/encyo_nenpu.html
プッチーニの「トスカ」の初演は1900年(明治33)年の1月14日、ローマのコスタンツィ劇場(現ローマ歌劇場)でのことだから、プッチーニに先駆けること8年半前に歌舞伎座で演じられていたのだ(戯曲「ラ・トスカ」が演劇としてパリで初演されたのは1887年)。
三遊亭圓朝は、当時の東京日々新聞記者(後の社長)であり劇作家の福地桜痴から聞いた話を翻案したものと思われる。
 圓朝は、歌手トスカを踊りの師匠 お須賀、画家マリオ・カヴァラドッシを絵師・狩野毬信(まりのぶ)と名付け、1837 年の大塩平八郎事件と重ね合わせ、吟味与力(スカルピア−個人的にはスカルピアこそ「トスカ」の主人公と思う)の陰謀で拷問死した夫毬信の敵討ちを妻のお須賀が果たすまでの長い物語りに作り上げた。
 「きまぐれなモノローグ」http://plaza.rakuten.co.jp/yumenosuke/diary/2003-08-04/というブログサイトを見ると圓朝の傑作「死神」もリッチ兄弟作のオペラ「クリスピーノと代母」(1850年イタリア初演)とグリム童話「死神の名付け親」に基づいているそうだ。
「トスカ」のあらすじ等について知りたい方は「トスカよもやま話」http://www.geocities.jp/music_yomoyama/tosca.htmでメロディーを聴きながらたどることができる。 「トスカ」の舞台を思い出してしまったので、今日はこれからジャン・ルノワール監督が1939年に撮った映画「トスカ」(脚本ルキノ・ヴィスコンティ)と美空ひばりが「題名のない音楽会」で歌った「トスカ」の中のアリア「歌に生き恋に生き」のビデオを見るとしよう。
☆写真は 「トスカ」が初演されたローマ歌劇場(旧コスタンツィ劇場)http://www.operaroma.it/weboper0.htm