福岡・唐津・長崎の旅 8月16日

 午前中、市電で浜口町に行き、歩いて4年前に開館した「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」http://www.peace-nagasaki.go.jp/で黙祷。その後、地下通路を通って隣の「長崎原爆資料館http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/を見学。昔住んでいた頃の展示は、より生々しく原爆の残虐性を訴えるものだったが、今回久しぶりに見学するとその悲惨さを押さえた展示になっていた。もっとも、住んでいた当時は原爆投下から10年ちょっとしか経っていなかった頃なので、よりリアルな展示となっていたのだろう。
 次に、昨年移転してきた「長崎市歴史民俗資料館」http://www.nagasaki-city.ed.jp/siryoukan/を見学。展示物の中で興味を引いたのはオーストリア・ハンガリー帝国海軍の戦艦Erzherzog Franz Ferdinandフランツ・フェルディナンド大公)号(約14,500トン)の乗員Rachmayer Istvan氏(階級不詳)がオーダーしたと思われる見事な長崎刺繍http://www.pref.nagasaki.jp/bunka/hyakusen/kotohajime/060.htmlのペナントだった。 
同氏の1911年から15年に至る同艦勤務の記念にオーダーされたもので、艦の雄姿を中心に同氏が戦艦で訪れたと思われる20カ国の海軍旗が周囲を囲む素晴らしいものだ。

当欄の「オーストリア海軍の歴史その3」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20060720で書いたように、
フェルディナント大公が日本親善旅行の際に乗った巡洋艦エリザベート皇后号」(約4,030トン)は、第一次大戦勃発直前の1914年春から夏にかけてアジア諸国を親善訪問中だった。
3日後に、長崎歴史文化博物館http://www.nmhc.jp/の資料室でマイクロフィルム化された当時の「長崎新聞」を調べてみると3月9日に長崎に入港した「エリザベート皇后号」は、12日に出港して別府へ向かったと書かれていた。「フランツ・フェルディナンド大公号」は、「皇后号」に随伴して来港したのだろうか。
謎なのは、長崎刺繍が「1911年から15年に至る同艦勤務の記念」にオーダーされている点だ。第一次大戦勃発時にドイツの租借地中国の青島付近の膠州湾内にいた「エリザベート皇后号」は1914年11月2日、戦況の絶望的状況を見極め、青島の膠州湾内に自ら艦を沈める。11月7日には、ドイツ軍は日本軍に降伏して青島を明け渡した。
だから、「大公号」も、一緒に戦かい降伏して乗員が長崎に抑留され、抑留中にオーダーしたのかとも思ったが、後で調べたらそれはあり得なかった。「大公号」は、後にアドリア海でイタリア海軍と戦い、戦後はイタリア海軍に接収され1926年にスクラップにされているからだ。
 青島にいたドイツ東洋艦隊のシュペール提督は開戦後すぐに港内封鎖を恐れて戦場を離脱しドイツ本国へ向かったので、それについていったのかとも考えたが。結局、この艦隊はドイツにはたどり着けず、南米フォークランド沖海戦イギリス海軍と戦い全滅するのだからそれもあり得ない。

 1908年9月30日に進水した「大公号」が、「皇后号」とは別に親善訪問しているとも考えられないことはないが、それにしても戦争勃発後の1915年までの乗務記念としているところが解せない。
 そもそも、長崎市歴史民俗資料館に残されている経緯が分からない。戦争で注文流れになったであろうことは容易に推測できるが、通信が未発達の当時、海外から長崎に注文が届いたとも思えないからだ。1915年で退役が決まっていたRachmayer Istvan氏が、それを見越して長崎で注文し、母国に送ってもらうつもりだったのだろうか。もし、そうなら、名誉を重んじる長崎商人としては戦争が終わってからでも送り届けるべきだっただろうが....。
当欄の「オーストリア海軍の歴史その4」でも書いたが、「サウンド・オブ・ミュージック」で有名なトラップ“大佐”が、アドリア海と地中海で戦っていたオーストリア海軍のUボートの艦長であった当時、地中海に派遣されていた第二特務艦隊の駆逐艦「榊」がオーストリア海軍のUボートに魚雷で大破されている。
この攻撃したUボートとトラップ“大佐”の関係と「大公号」の謎を調べにオーストリア海軍史の資料もある「オーストリア軍事史博物館」http://www.hgm.or.at/eng/を一度訪ねてみようと思う。

遭敵海域 (文春文庫)

遭敵海域 (文春文庫)

ハプスブルク家かく戦えり―ヨーロッパ軍事史の一断面

ハプスブルク家かく戦えり―ヨーロッパ軍事史の一断面

歴史民俗資料館を出てから、公園となっている長崎原爆落下中心地http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/education/edu_map_8.htmlに向かう。この中心地周辺には、戦争中、遠い親戚の家が数軒あったと聞いていた。


市電で、中心地の思案橋に戻り“卓袱浜勝http://www.sippoku.jp/ で、雑誌に付いていたサービスクーポンを利用して「ぶらぶら卓袱+寿司」のセット2,600円を食べる。長崎名物卓袱(しっぽく)料理の簡略形だが、なかなか美味で驚く。


 食後、ホテルに戻って旅行中に習慣になってしまった昼寝をする。18:00頃に起き出して、長崎の夜景スポット稲佐山の展望台http://view.adam.ne.jp/setoy/pic/kyusyu/nagasaki2.htmlを目指す。
展望台へ登る長崎ロープウェイhttp://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/kanko/ropeway/の淵神社駅までは個人で行くとバスを乗り継がなければならず面倒なのだが、ロープウェイ会社が運行する6つのホテル等を巡回する無料送迎バスhttp://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/kanko/ropeway/bus/01index.htmlを利用すると簡単だ。宿泊しているホテルには立ち寄らないので、近くのロワジールホテル 長崎http://www.solarehotels.com/loisir/hotel-nagasaki/index.html で事前に予約をしておいた。予約の際は、宿泊しているホテル名を聞かれる。どこのホテルかを問わず、観光客なら誰でも利用できる気の利いたサービスだ。長崎ロープウェイの運賃は、往復で1,200円。