1974年の欧州鉄道旅行を今一度 その2

今日は、途中から話が脱線してしまいそうだ。明日の「その3」では、旅の復元話に戻す予定なのでご容赦。

1974年の2月27日早朝にパリのオルリー空港に降り立ち、空港バス(6.5F 当時1Fは約60円)でアンバリッドの市内ターミナルに向かった。
 当時の個人旅行者のほとんどはホテル探しも現地に着いてから。私も、10枚綴り地下鉄2等回数券カルネ(8F)を買って、「$10 a Day in Europe」http://www.frommers.com/で目星をつけていたカルチェラタン近くの安ホテル街に向かった。

 泊まったのは、パリ6区Rue de Buci通り22番地の1つ星Hotel de Buci http://www.hotelbuci.fr/だ。このホテルの界隈は朝市が立ち、その売り声で起こされたことを覚えている。窓から通りの眺めを見ているだけでも飽きることがなかった。

 当欄の「ストリート・マップ・サイトが消えてゆく」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20070216でも紹介したが、このホテルは今や4つ星のデザイナーズホテルに大変身。当時は、シングルで28Fほどだったのが、ホームページを見ると現在は170〜240 € となっている。
 もちろん経営者も代わっているのだが、同じ場所に“昔の名前で出ている”ホテルなので“復刻版の旅”でも泊まってみたい気はする。サイトを見ると“SPECIAL OFFER THIS WINTER”という冬のバーゲン価格が、11月15日〜2月28日まで提供されているので、少し予定を早めてみようかとも考えている。

このホテルに限らず、レストランやショップはフランステレコム系のPagesJaunes社の電子電話帳 http://www.pagesjaunes.fr/trouverlesprofessionnels/index.doで調べれば、地図や建物の写真、URL、メールアドレス、任意の地点からの行き方(itinéraire)まで表示される。
使用法は、Quiの欄にホテルやレストラン、ショップの名前、Ouの欄にRUE DE BUCI, PARISなど通りの名前を入れてtrouver(検索)ボタンを押すとよい。  
ホテル周辺のレストランを探したければQuiの欄にrestaurantと入れ、Ouの欄にRUE DE BUCI, PARISと入れればよい。同じように近くの旅行会社を探したければQui欄をagences de voyagesと入れ替えてクリックすればOK。オペラ通り界隈で各国の政府観光局を探す場合は、Qui欄にoffices de tourisme、Ouの欄にAVENUE DE L'OPERA, PARISと入れればよいはずだ。

 試しに、当時からお馴染みになった界隈のクレープ・レストランA la Bonne Crêpe http://mmmm.free.fr/resto/860.htmlやワインショップNICOLAS http://www.nicolas.tm.fr/ の支店などを探し出してみた。何回も通ったイタリア食堂La table d'Italieはどうやら廃業してしまったようだ。当時3.5Fという安さのスパゲッティ・ボロネーズは大盛りで、一食分の食事として充分なヴォリュームだった。

PagesJaunes社の電子電話帳は、以前は日本の女性誌がよく特集するような海外のショッピング・ストリートイラストマップのようなヴィジュアル性豊かなデジタルマップになっていた。残念ながら現在は、ショップやレストラン、ホテル、観光スポットなどが並んだスクロール可能なストリートマップは消えてしまい。一般的なデジタルマップと物件の周辺図のみとなってしまった。

  実は、私もこの界隈のイラストマップを、一時期編集長を務めさせてもらったこともある「パイドパイパー−国際移動のための時刻表」というミニコミ誌に何度か掲載したことがある。

パイドパイパー」はミニコミと言っても、お上から第3種郵便物の認可を得た月刊の定期刊行物だったが、中身は相当にアグレッッシブだった。当時は格安航空券はまだまだ日陰の存在で、「あってはならないもの」だった。実際に、インスペクターなるものが空港などに出没し、消費者がチェックインしようとすると待ったをかけると言ったことがよく起きていた。そんな中で、格安航空券の仕組みや料金の変動などを細かくレポートしていたのだ。

パイドパイパー」は格安航空券のメリットとデメリットを紹介するばかりでなく、現地旅行情報も詳細に取り上げていた。
 パリのBuci通りのほかにも、拙著「フィレンツェ旅の雑学ノート」でも取り上げた、フィレンツェの裏町Via del Soleや「ウィーン旅の雑学ノート」でも紹介したウィーンの繁華街ケルントナー通りなど一本の通りを選んで毎年のように、その横町を観察し店の変遷や物価の変動を定点観測して掲載するといったことも行なった。

パイドパイパー」はさておき、この頃の旅のミニコミ自費出版本には迫力があったように思える。その理由のひとつは、経済的に決して豊でない中で相対的に高価な航空券を使って旅行するのであるから、旅への情熱と時間の注ぎ方が違ったからではないだろうか。そう言えば、テレビの“なんでも鑑定団”などで活躍されている岩崎紘昌さんも、「世界ケチケチ旅行研究会」を主宰し「ザ・個性的な旅」を編集・執筆されていた。

 「世界ケチケチ旅行研究会」に関わったOBの一部が再結集して「手づくり世界旅の会」を作り、「地球旅遊」http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9910/index.htmlという機関誌を発行していたということが「世界ケチ研+個性的な旅」の検索で分かった。「地球旅遊」のトップページの「会の手づくり小冊子」をクリックすると未だ入手可能な「ザ・個性的な旅」のバックナンバー・リストも現れた。残念なことに「地球旅遊」は、現在活動を休止しているようだ。

 同じように、中近東やアジア、アフリカ、中南米などをよく取り上げていた「オデッセイ」という雑誌はどうなったのだろうか。20年ほど前までは三省堂紀伊國屋にも並んでいたような気がするが。
 調べてみると、旧知の旅の大先輩が開いている旅の友本舗「トラベルメイト」http://travelmate.org/というサイトの「古文書館」に「オデッセイ」というページへのリンクがあり、「オデッセイ」のバックナンバー・リストhttp://www.yagumo.info/travelmate/odyssey/index.htmlから、ほとんどの号の表紙写真と目次を閲覧することができた。

 「トラベルメイト」は、反骨精神豊かな超長期連載コラム「旅行辞苑」が面白い。「これでメゲたら山下マヌーでも読みましょう」とニヤリとするひと言もある。
 「トラベルメイト」には「(東京)海外旅行研究会」http://kaiken.ikegi.net/など歴史ある組織とその出版物を紹介しているページや「70年代の旅行記」、新しい旅行記「いまの旅」など読み物も豊富だ。残念なことにこちらも、最近更新がされていないようだ。


■今日のブックマーク&記事■
□Times Online - UKOctober 6, 2007 “End of the guidebook?”http://travel.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/travel/holiday_type/travel_and_literature/article2595325.ece
BBC Worldwideがオーストラリアの旅行ガイドブック出版社Lonely Planet の株を75%取得するという既報記事を背景にガイドブックのデジタル化の流れを取り上げた記事。

☆右上の写真は クレープ・レストランA la Bonne Crêpe

岩崎紘昌のアンティーク鑑定入門 (PHPエル新書)

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