1974年の欧州鉄道旅行を今一度 その4

“Puerta del Sol”号で09:00にマドリッドのチャマルティン駅に着いた後、パリ同様に「$10 a Day in Europe」http://www.frommers.com/で目星をつけてホテルを探した。
 パリと比べ物価が安いので中心街Gran Viaに面したスペインの劇作家の名を取った3つ星のホテルLope De Vegaに宿を決めた。バスタブもあり広々とした間取りで、1泊300ペセタ(1ペセタ=約5円)だ。朝食ホールからの眺めのよさと生搾りのオレンジ・ジュースの美味しさが忘れられない。このホテルには、その後も3〜4回泊まることになったが、10年ほど前に廃業してしまったようだ。
 当時のスペインの物価の安さはヨーロッパでも際だっていた。しかし、日本円の使い出があるので、節約旅行者の多くはつい贅沢をしてしまい、結果的にスペインで一番散財してしまうという若者が多かったようだ。私も、スペインではフルコースの食事をとっていたが、メモを読み返すとそれでも1食80〜150ペセタという安さだ。

当初、マドリッドには2〜3泊するつもりだったが、物価の安さと居心地のよさに、3月2日から7日まで5泊もしてしまった。

さて、定宿がなくなってしまったので、来年の旅ではどこに泊まろうか。念のため、インターネットでHotel Lope De Vegaを検索してみると、別の経営で同じ名前の4つ星ホテルがオープンしていた。しかも、お目当てのこの10月に大改修を終えたプラド美術館やその斜め前にあるティッセン・ボルネミサ美術館に近い。
Lope De Vegaの価格は、4travelのページhttp://4travel.jp/overseas/area/europe/spain/madrid/hotel/lope_de_vega_hotel-10144749.htmlで8社ほどを一括して比較できる。

 1974年にマドリッドを訪れたときは、プラド美術館で「ピカソはどこにある」と訪ねると学芸員が丁重に別館まで案内してくれた。そのとき女性の学芸員に、「貴方はスペイン語、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語のうちどちらを話すか」と聞かれ、逆に「貴方はそんなに話せるのか」と聞き返したのを覚えている。

 ティッセン・ボルネミサ美術館 http://www.museothyssen.org/thyssen_ing/home.htmlは、かつてスイスのルガーノ湖畔の別荘にあり、1986年に訪れたこともある。しかし、当主の死去に伴い奥さんの実家のあるスペインのマドリードに美術館ごと引っ越したというものだ。ティチアーノからラファエロ、フラ・アンジェリコ、カラバッジオレンブラントルーベンスデューラーゴヤクラナッハゴーギャンなど美術の教科書に載るような代表的傑作が揃っている。

Highlights of Art: Thyssen-Bornemisza Museum, Madrid (Klotz)

Highlights of Art: Thyssen-Bornemisza Museum, Madrid (Klotz)

 マドリッドでは蚤の市を見物したり、闘牛を見たり、フラメンコを鑑賞したり、郊外の古都トレドを訪れたりと充実した滞在だった。

当欄の「旅の思い出を甦らせる音のアルバム」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20051206でも書いたが、どういうわけかこの旅にカメラは持たず、世界最初のポータブルカセット録音機といわれるアイワの録音機能付きラジカセを持って行った。生まれて初めての海外旅行で残された“思い出”はこの生録音がすべてだ。ところが、自宅のステレオで再生すると、これが実に生々しく旅を思い出させてくれるのだ。ヨーロッパ横断特急のアナウンスやフラメンコ酒場の音、各地の大道芸、闘牛の哀愁を帯びた伴奏音楽などの音が今でもカセットに残っている。
 とくに、蚤の市の路地裏で、ゴッドファザーのテーマをアコーディオンで弾いている音に誘われて、居酒屋に入っていく“録音”では、自分が「コカ・コーラ」と注文し、チャリンとコインを置く音まで実に鮮明だ。

 以来、ヨーロッパ旅行のたびに小型の録音機とタイピン型のステレオ・マイクを持って行くようになった。
旅先の光景が鮮明に甦るのも、カメラを持たず自分のF1のレンズ(瞳)でじっくりと網膜に焼き付けたおかげだと思う。

マドリッドでのもうひとつの思い出は、フラメンコの老舗タブラオCorral de la Moreria http://www.corraldelamoreria.com/だ。この店のサイトを開いてみると“1000 PLACES TO SEE BEFORE YOU DIE”という本でも取り上げられているそうだ。
フラメンコの熱演は、朝4時近くまで続いた。タクシーを拾おうと帰り道を歩いていると、土嚢を積み上げた銃座で機関銃を構えた兵士が不気味にこちらをにらんでいた。そう、未だフランコ総統独裁の時代だったのだ。

1,000 Places to See Before You Die

1,000 Places to See Before You Die

 

3月7日の20:45発の夜行特急“Costa Brava Express”でマドリッドからバルセロナに向かい、翌朝08:00にバルセロナのテルミノ駅に到着した。
ドイツ鉄道電子時刻表」の英語ページhttp://reiseauskunft.bahn.de/bin/query.exe/enで、現在のマドリッドからバルセロナに向かう列車を調べてみると、夜行を使わないでも5時間ほどで着くことができるタルゴ特急が何本も出ている。
 今回の旅ではアトーチャ駅11:45発、バルセロナのサンツ駅16:13 着のタルゴ特急を利用することにしよう。

バルセロナの印象は、マドリッドと異なり芸術的なインスピレーションに溢れた街だったということに尽きる。ショップのアクセサリやバッグひとつをとってもマドリッドとは全く異なる柔軟な感性が感じられた。当時のメモを見ると革のバッグだけでも3つも買ってしまったことがわかる。

 バルセロナではガウディの建築巡りをし、ピカソ美術館ではピカソが10歳の頃に描き上げた写実的宗教画に感動し、古典派、印象派キュービズムと美術史を1人で駆け抜けていった姿がよく分かった。
ガウディのサクラダ・ファミリア教会は、現在の姿と異なり2つの高い尖塔が未だ立ち上がってなかった。

 実は、1974年の旅では、パリ到着時までいっしょでヨーロッパ内は別行動で旅行した友人がいた。不思議なことに何の打ち合わせもしていないのにバルセロナフィレンツェの街角で偶然出会ったことを覚えている。当時は、旅行者も少なく、訪れる興味の対象も似通っていたからだろう。

バルセロナでは、偶然出合った友人とランブラス通り近くの安いペンションに1泊したと記憶しているがその宿代が1人170ペセタだったことしかメモには残っていない。
今回の旅では、その後何度か泊まったことがあるグエル邸の目の前に立つ3つ星Hotel Gaudi http://www.hotelgaudi.es/eng/index.aspにしようか。


■今日のブックマーク&記事■
日本航空10月10日プレスリリース「JAL、国際線『プレミアムエコノミー』サービスを導入」 http://www.jal.com/ja/press/0001140/1140.html