今日は、1989年11月9日に東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊してから20周年の記念すべき日だ。あまり知られていないがこの歴史的大事件は、わずか数人で仕組んだ奇抜な「ヨーロッパ・ピクニック計画」から始まった。それは、オーストリア国境に接するハンガリーの古都ショプロン郊外における、東西の住民の交流をうたって西側への脱出希望者を集めたイベントだった。そして、このイベントの最中、自由を求める大量の東ドイツ国民が西側のオーストリアに脱出して行った。もちろん、ハンガリー政府はもとより、オーストリア政府、西ドイツ政府にもしっかり根回しをした上での脱出劇だ。この事件をきっかけに東ドイツやチェコの亡命者は奔流となり、やがてはベルリンの壁を無意味にし、東西ドイツの統一へと進んでいくことになった。
1993年12月19日放送のNHKスペシャル「ヨーロッパ・ピクニック計画〜こうしてベルリンの壁は崩壊した〜」http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2004/h040606.htmlは、ハプスブルク家の当主オットー・フォン・ハプスブルクやハンガリーの「民主フォーラム」の幹部フィリップ・マリア、それにハンガリー共産党幹部たちが極秘に進めた策略とそれを巡る米ソ、欧州各国指導者たちの虚々実々の駆け引きを、多数の関係者の証言と膨大な極秘文書から導き出した優れたドキュメンタリーだった。
ショプロンは、ハンガリー領土がオーストリア側に包み込まれたような一帯の中心都市である。フリー百科事典「ウィキペディア」http://ja.wikipedia.org/ の「汎ヨーロッパ・ピクニック」の項には、「事件の現場となった周辺は『汎ヨーロピアン・ピクニック公園』として保全されている。2001年に、ショプロンを含めたフェルテ−湖/ノイジ−ドラ−湖の文化的景観が世界遺産に登録されている。これには汎ヨーロピアン・ピクニック公園一帯も含まれている」とある。
下の写真は、壁崩壊直後の1989年12月にベルリンで撮ったものだ。壁の破片は早速、繁華街の路上でおみやげとして売られていた。ドイツ人らしく律儀に証明書まで付けて売っていたのを思い出す。
関連参考サイト:
□ハンガリー政府観光局「汎ヨーロッパ・ピクニック」計画
http://www.hungarytabi.jp/literary2.html
□フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』鉄のカーテン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3
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