「赤ちゃんポスト」のルーツ

 先日、熊本県の慈恵病院http://www010.upp.so-net.ne.jp/jikei/が母親が望まない新生児を託すことが出来る「赤ちゃんポスト」を今年中にも設置する予定という報道がなされた。病院の建物外壁に穴をつくりハッチで開けられるようにし、内側に小さな保育器を設置し、新生児が遺棄されると数分後に警報ベルが鳴り、病院スタッフが新生児の保護が出来る仕組みだそうだ。「アメーバニュース」の「日本の病院がドイツに続き赤ちゃんポスト開設へ」http://news.ameba.jp/2006/11/wo1111_2.phpという記事を始め、多くの報道でもドイツがこのような受け皿の先駆者のように書かれているが、メディア関係者でかつてのベストセラーに触れられていた「赤ちゃんポスト」のルーツを思い出す人がいないようなので、あらためて書かせてもらおう。

 拙著「フィレンツェ旅の雑学ノート」でも引用させてもらったのだが、実は、思想家羽仁五郎氏のベストセラー「都市の論理」(1969年 勁草書房ほか)で、ルネッサンス期のフィレンツェ共和国に設けられた“装置”が取り上げられていたのだ。
 ちょっと長くなるが「フィレンツェ旅の雑学ノート」の「ブルネッレスキが建てたもっとも美しい建築 育児院」(189ページ)から一部引用させてもらうと、


 この脇道を抜けるとサンティッシマ・アヌンツィアータ広場(Piazza della Santissima Annunziata)だ。ロッジアに三方を囲まれた街でも有数の美しさを誇るルネッサンス建築に囲まれた広場である。中央のフェルディナンド大公の騎馬像はジャンボローニャが手がけた最後の作品で、トルコ軍からの戦利品の青銅の大砲を鋳潰して作った。広場の北側にはロッジアのために分かりにくいがサンティッシマ・アヌンツィアータ(受胎告知)教会がある。ロッジアから正面入り口を入ると回廊があり十五〜十六世紀にかけてアンドレア・デル・サルトやポントルモなどの著名な画家によって描かれたフレスコ画が残っている。 広場の東側には育児院(Ospedale degli Innocenti)がある。思想家の羽仁五郎氏はその著書「都市の論理」(勁草書房)で「みなさんがフィレンツェに旅行すると多くのすばらしいルネッサンス建築を見られますが、そのなかでも、もっとも美しい建築は、ぼくの所見によれば、実はこのフィレンツェの育児院であります」と述べ、捨て子になった子供たちを「罪なき子」(インノチェンティ)と呼んだことをヒウマニズムの発達ととらえて称えている。
 また、「広場に面するこの建築の正面いっぱいの広いゆるやかな階段は、支配者が民衆を見下ろすためではなく、苦しみ悩む母親を救うため、いな女性の解放のためであるからこそ、建築的にもこんな美しい階段はほかにないのです」と語る。この「美しい建築」はブルネッレスキが一四一九年に設計した傑作であり、ロッジアのアーチの上を飾る「産着に巻かれた赤ん坊」が描かれている彩色陶器のメダイヨンはデッラ・ロッビアの作。ロッジアの一角には、かつて、母親が人に顔を見られずに子供を捨てられるよう配慮された「捨て子のための回転台」も設けられていた。養育院の中には絵画館(Pinacoteca)もあり、数は少ないがボッティチェッリの「聖母子」やギルランダイオの「東方三博士の礼拝」など貴重な作品が収蔵されている。

以上、引用。

 なお、現在この建物の一部はその歴史から見て最もふさわしい機関が利用している。ユニセフ(国連児童基金http://www.unicef.or.jp/である。
☆右上の写真は建物の一角に今も残る「捨て子のための回転台」が置かれた跡

フィレンツェ 旅の雑学ノート―メディチ家の舞台裏をのぞく

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