*[長崎日記]8月中旬の大雨で思わぬ被害

*[長崎日記]8月中旬の大雨で思わぬ被害

f:id:Europedia:20210723113116j:plain

わが家の窓越しに撮った夕焼け

 8月11日から16日まで続いた長崎の記録的な大雨は、全国で報道され、わが家を心配して下さるメールを多数いただいた。14日まで、「わが家は高台にあり、報時観測所の27m前後の高さの鉄塔が3本も建っていた地盤にあるので大丈夫です」と返事をしていた。
 しかし、15日の朝、朝食のサラダに使うバジルやディルを摘みに庭に出たら、裏庭のフェンス際の地面が50cm以上陥没しているのを発見。よく見ると、わが家の石垣が、隣家にせり出しご迷惑をかける事態となっていた。

 早速、市役所の建築部に通報、近所に住む小学校の同級生2名に連絡しアドバイスを求めた。同級生と言っても幼稚園から小学校2年までの3年間一緒だっただけで、私が東京に住んでいる55年間は音信不通状態だったのだが、6年前に再会してからは、空白期間を飛び越えて交友が復活していた。
 わが家の土地は、子供の頃一緒に草野球をしたり、周辺の空き地で段ボールの“秘密基地”を作って遊んでいた土地でもある。すぐに、2人が多量のブルーシートを持参して駆けつけてくれた。この友人たちは、ひとりは元建築士、ひとりは元材木屋の若旦那という心強い経歴の持ち主でもあった。

 

 2人の判断では、これ以上陥没を進捗させないためには、雨よけのためにブルーシートの下に傾斜をつけてフェンスに立てかけるコンパネ(コンクリート・パネル)と呼ばれる頑丈な合板が必要とのことだった。
 すでに、家を建てる際にお世話になった建築会社には一報を入れておいたが、再度電話して「どうしてもコンパネ10枚ほどが必要」と話したら、雨の中を資材倉庫などからかき集めて届けてくれた。
 この日は、市役所の建築部の人が簡単な測量と写真撮影に駆けつけて、工事開始までの段取りや市からの補助金の説明を受けた。後に、旧知の市議会議員も来てくれて、各種申請の段取りなどを手助けしてもらった。
 また、元建築士の友人は、8月19日には、市役所建築指導課に事前調査申請書を提出するのに必要な現場測量を行い、写真を撮影、被害状況の平面図・断面図を製図してくれた上、市役所への申請まで行ってくれた。

 幸いなことに8月18日には大雨が収まり、恐れていた台風12号も23日に最接近したものの、コースが長崎の西にずれたため風雨によるさらなる被害はなかった。

 壊れかけている石垣は、将来のためにも、すべて撤去して、間知石擁壁と呼ばれるものを作ることになりそうで、工事開始まで数週間かかりそうとのことだ。
そのため、当面の間、石垣をより安全に保護するために角材とコンパネをネジ止めして石垣に立てかけ、ロープで固定し、その上に厚手のブルーシートをかけるという作業をすることになり、27日に友人2人とその作業を行った。同級生の女性陣が、昼食などの差し入れを担当してくれたので作業もはかどり、午前10時に開始してから、15時には難しい仮設工事を終えることが出来た。今は、工事完了前に台風や大雨が来ないことを祈るのみだ。

f:id:Europedia:20210829051454j:plain

角材とコンパネの上に厚手のブルーシートをかける


 さて、真夏の長雨はホームガーデンにも影響した。キュウリやひょうたんカボチャなどは実がついたかと思うと、途中で成長がストップした。ディルやパセリ、サニーレタス、二十日大根なども不調で思い切って撤去して、秋蒔きの野菜類のためにスペースを空けた。
 2メートル四方のハーブガーデンもすべて撤去。ただ、雑草がすぐ生えてくるので、土を網目のザルでふるいにかけて根を徹底的に除去する作業が必要だ。
 順調に育っているのは、つるありインゲンと平さやいんげんプランターのバジル、そして収穫期を迎えたイチジクなどだ。

f:id:Europedia:20210829051808j:plain

収穫期を迎えたイチジクの木

 裏庭のシークァーサー、甘夏の一部、桜などは、擁壁工事の際に撤去する必要がありそうだ。せっかく実をつけ始めたシークァーサーだけでも移植できれば良いのだが

 港側の庭では、150本ほどのロシアヒマワリが開花を終えた。例年なら、種が採れるまで立ち枯れ状態にしておくのだが、枯れた姿が少々不気味との意見もあるので、すべて伐去して、庭に寝かせておいた。充分に乾いたところで粉砕機にかけて肥料にする予定だ。

 長雨の間は、庭の水撒きなどもお役ご免となるため、ツンドクになっていた本や図書館から借りてきた本を読んで過ごすことが多かった。

 借りてきて読んだ本のひとつ、辺見庸氏の「コロナ時代のパンセ」(毎日新聞出版)の末尾に 七年前私は「ITが発達しIPS細胞技術がすすんでも、まるでひきかえのように失っているものがある。〈人間の内面への切実な関心〉がそれであり、〈貧者と弱者への共感〉がそれだ」と書いた。これらの「関心」と「共感」はいま、さらに薄れている。そうしむけた“まろうど”を招じ入れたのは、誰あろう、わたしたち自身である。と書かれていた。
 〈人間の内面への切実な関心〉の希薄化という言葉は、なぜか心に響く。後日ゆっくり考えてみたいと思うのだが、ここ数年、ヨーロッパでクラシック音楽を鑑賞していて、1970年代に聴いた巨匠たちの指揮する音楽https://europedia.hatenablog.com/entry/20040201/p1との違いはなんなのだろうかと考え込むことが多かったが、この〈人間の内面への切実な関心〉がひとつの鍵なのかも知れない。もちろん、“誰あろう、わたし自身”の問題なのだが。

 そう言えば、辺見庸氏は NHK・Eテレ こころの時代「非常事態宣言下の日々に」https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/1MMMVGWR1Z/という2020年6月7日早朝放映の番組で「コロナ禍で、浮き彫りになった日本社会の姿」を内外の著名作家の作品や言葉を引用しながら、美しい映像とともにスカイプ回線を使って「非常事態宣言下の日々」を語っていた。

 中でも印象的だったのは、番組の最後の方でトーマス・マン感染症が広がるヴェニスを舞台に描いた「ベニスに死す」をモチーフにした部分だ。武漢やドバイなどロックダウンで無人となった大都会の映像を背景に、映画の「ベニスに死す」で使われたマーラーの第五交響曲のアダージェットが流れ、(観光客がいなくなって)水が澄んだヴェニスの運河でクラゲがゆっくりと泳ぐ姿や「インドから30年ぶりにヒマラヤが見えた」画像などが続いた。

 辺見庸氏は自身の2020年6月6日付けのブログhttp://yo-hemmi.net/で“Klassenkampf(階級闘争)のことをかんがえていた。スカイプのインタビューでは、しかし、話さなかった。「貧困」か「窮乏化」「階級」については触れたと思う。たしか”と書いておられた。

f:id:Europedia:20080707171701j:plain

「ベニスに死す」の舞台となったリド島

 借りた本では、もう一冊、五木寛之氏の「百歳人生を生きるヒント」(日本経済新聞出版社)も興味深かった。とくに、「私は60歳でクルマの運転を止めました」と書き、その理由が「動体視力の衰え」という部分には共感した。私自身も、3年前の67歳の時、芝刈り機や草刈り機の使用で右手の握力が落ちていたことと「動体視力の衰え」でロードレーサーでのサイクリングを断念した。前回の記事に書いたように、たまに旅先でスポーツタイプのレンタ・サイクルを借りて、安全運転をするぐらいにとどめているが、これもソロソロ卒業した方が良さそうだ。
 わが家の倉庫には、4台のロードレーサーが天井から吊されているが、遠からず処分することになるだろう。

f:id:Europedia:20120903150315j:plain

倉庫の天井に吊されたロードレーサー